Nantoka日和

 
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震災関連

阪神大震災はこうやって乗り越えた的なアナウンスがあちらこちらであるけど16年経った今でもまだ震災が終わってない人だって居るのを忘れないでほしい。

都市直下型地震と一言に言うが、住宅密集地とオフィス街では損傷の程度もかなり違う。
神戸市でいうと長田区~灘区では住宅街に被害が集中し、家屋の倒壊は当然ながら、その後の火災によって甚大な被害がでた。これら火災によって損害を受けた家屋は約款上の免責事項が適用され保障はされていない。地震保険は火災保険上の特約であり、主契約ではないのだ。この訴訟が何年も続いたが、結局原告側は敗訴している。

半壊、全壊という認定基準もまだまだ曖昧だった。外壁が全てはがれ落ち、見た目に明らかに全壊とされる家屋でも、支柱が損傷を受けていないという理由で半壊認定に留まった。そしてその認定の保障額は1世帯につきたったの10万円程度(神戸市)だった。

義援金や救援物資の配分が各行政によってことなり、最初は政府によって一括管理されることなく分配されたため、西宮市は潤ったが神戸市は色んな意味で足りなかった。
この際当時の社民党政権の批判は別にしておくが(むしろそんな簡単な問題ではなく)、人、物、金の流れがスムースであったかと言われると、そうでなかったといわざるを得ない。

仮設住宅が各地の公園に並び始めたが、その居住のめどは2年という短期契約とされた。
仕事を失った自営業者を中心に自立的生活のめどは中々たたず、焦った住民の中には当時の金利にして40%という今では考えられない法外な利息にもかかわらず、消費者金融に融資を求める者も居た。
それも仕方ないことではある。あまりに大きな被害のため銀行が融資を制限し、あるいは査定を厳しくし、復興のための住宅ローンですら十分に確保できなかったのである。

街が一新され、道路が舗装され、観光客が戻りはじめてもそこにできた経済的空白は否定できない。
街を作り直すために必要とされた資本は行政が大量の赤字を抱えて拠出した。
それは住民一人一人においても言えることだった。

当然、近親者を亡くした人々に震災の終わりは無い。
崩落した屋根や横倒しになった大型家具の下敷きになり、救出中に火の手が回ってきた。
「もう、俺はいいから、お前ら逃げろ。」それが最後の言葉になった。
そんな壮絶な瞬間が数千の死者とその家族に突きつけられた。
震災記念日を迎えるたびその記憶は反芻されるのである。


今回の被災によって経済が受ける打撃は10兆円を軽く超えるとか。
ましてやGDPは低迷し、国債もこのままいけば2年で個人資産の1000兆円を超え破綻の危機を免れない、なんて噂が現実味を帯びてきた現代。
東北のこれからを想うと過去に被災した我が身と重ねて眼を背けざるをえない。

これらは震災を過去とできた阪神圏に住む人々からすれば、もはや弱者の独白なのかもしれない。
当然これらが全ての被災した人間に言えることでもない。
しかし現実として今でもまだ震災が終わってない人だって居るのを忘れないでほしい。

被災地の皆様はこれからが辛いだろうけど、復興に向けて本当に頑張ってほしい。
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らいと

Author:らいと
月日が流れてなんとか日和
いつまでたっても初代系は不朽の名作ですね。
AC2AA、ACPPの話題を中心に旧作をつぶやいてます。
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